あたま山風雲録〜アナドラム雑記帳〜

こちらは世間のすみっこで趣味人を目指し奮闘しているあな(G穴弾)のよもやま雑記帳です。

空想は頭のコヤシ理論の普遍性〜古いゲームの感想文をちゃんと書くということ//心の中の『世界観』のつくりかた

(この記事は、前ブログとのお引越し途中でのテキスト投稿実験です)

 

さて現在粛々とサイトの再確認計画を考えつつ、ついでに昔の趣味ゲーム記録等もあさりつつ、創作復帰のためのよもやまを自分なりにつめている昨今なあなです。

過去の記録とかいろいろざっと認識し直しつつ、時間が取れたのでつらつらと覚書がてら。

さて自分、無駄に物好きが高じて趣味の世界は大事にしようと二十歳を過ぎても創作を続けつつゲームもしつつすきなまんがも見つつ仕事(当時)も家事も生活もがんばりつつという当時からこの世に何千万人もいただろう新卒間際の生活を(身を削りつつ)やんわりなんとかここまで(途中十指ギリギリ回数の健康上の危機がありましたが)続けてきたわけですけど、こと災害後の混乱で体調崩して創作やめたらそれが一番厄介な病因というか要するに遂に元気が尽きた、つまりメンタルが病んでたというやっぱり典型的な崩れ方をしてたわけですね。

そんなわけでここ5年の苦悩と混乱の末わかったことは、やっぱ人間素直が一番だということですね。なんだかんだ言っても無理は体を壊すよ、という。
要するに書いてる本人のリアルが辛い時はたまには地の文も書いちまえと。そうやってバランス取らないと気持ちが混乱しちゃいますね。かといって複数アカウントやらを使う力もないのでこの場でつらつら続けちゃおうという魂胆です。

さて自分はフェイスブックやらツイッターなどで、基本実名出してあくまでリアルのものとしてネットを利用していらっしゃる方々の情報とは一線を画したあくまで『一個人の趣味サイト』としてのネット人格的立ち位置でインターネットをやってますが、そういう軽い気持ちのライトな使い方からすこし進歩して、この先誰が見ても何か残るものがあるような文章を意識して書いていこうかな、などと思ってます。つまりこのブログの文体が今後はまじめに難しくなります、というわけではございません。…むしろ地の文章や絵などの癖?は治らないので、すこしでも無味乾燥な記録ではなく、文章に人格がちゃんと感じられるような『読み物』として楽しく見ていただけるようなブログであればいいなあと思ってます。


さてそんな決意を固めた当方なんですが。自分に積み重なった知識レベルをなんとなーく体系化してみたら。
自分は学生時代にとりあえず詰め込むだけ詰め込んだ学習知識を基盤に、その後頑張って社会生活および家庭生活等をなんとか可能な範囲で(というか多分に家主さんとのタッグにて文字通り必死コイて)生き抜いてるわけなのですが。その合間に別件でたまにあくまで趣味で一緒に作ってる自腹の個人創作誌などに参加して遊びつつ、可能な限りの範囲で生活と趣味を細々続けているというそんな状態で十数年。いやほんとライフステージ驚天動地でそれどころじゃない(でも非常にドメスティックな範囲)で激動だったので語りたいことも山ほどあるんですが。

いや本当に無駄にゲームの変遷の知識くらいしか自信がないという御察しの展開。

てか、真面目なこれまでの生活よもやま話とかそういうの書くより、ゲームの話とか以前お世話になった界隈で学んだアニメ特撮その他の話してるほうがすんなり出てくるんですから仕方ないです。
むしろどんな切羽詰まった逆境にも耐えうる生活防衛術の分析とか家計応援アンチョコとかそういうのはもう今だったらアレです、アプリ業界?の商売カテゴリですし、そういうのは敢えて外して、かといって自分に嘘をついてまで真面目で他者の目をいちいち気にした骨抜きの内容を書く気にもならないので、いやもうなんというか自分が書きたいものを好きに書きます。と開き直って今回は。

往年のゲームの世界観の話になったのですね(相変わらずの話題)。

先週なんだかほんとにひさかたぶりに最近のアニメの最終回まで見て、去来する思いの中で往年アニメから時代劇から二転三転過去の記憶が走馬灯のようにこうそりゃもう尋常じゃない勢いで再生された訳でして(※とても疲れます)。で、なぜかその後家人とロマサガミンスト)のアルドラさんの話になったんですよ。死ぬに死ねない未練と苦しみの物語というかあれは初見(当時2005年〜10年くらい)からガーっと気持ちを囚われちゃったというか気になる方は調べるなり実際ゲームをやって欲しいんですが、とにかく話が重いんですよ、でも儚くて美しくてよく読み解いたら信じらんないくらいプラトニックな純愛友情もので、年取って見るとまた泣けるんですね。

脱線しましたが、そんなアルドラさん編でわかったことは、あのゲームの世界観および神話体系などはすごくよくできていたのではないかと。

SF然りファンタジーしかり、創作世界の世界観の作り方ってのは往年の海外諸作品を見るとわかりやすい、というのは昔から思ってるし参考にしてるんですが、

マイトアンドマジック世界の東西南北に4属性(中心に近いほど中立と混在の『人間の』世界になる)とか。
ウルティマ世界(おもに4のアレ)8つの徳の世界とか、
ハイドライド世界のちょいと気をぬくと一寸先が宇宙と隣り合わせのファンタジー世界とか、
ファンタシースター系のSF美味しいどころ取りだけど基本は王道サーガものな千年紀筋書きとか、

そういうなんというか、小難しい説明を一切排してるけどなんか一本筋が通った世界観設定の切り口、ってのの大胆さに惚れるのです。当方の脳が何もかもあらかじめ決まった設定とかこまっしゃくれた難しい用語とかそういう設定以上に単純化したルール設定が好きというだけなんですけど。そういうののほうが想像で補う余地がある分自分なりの解釈で『世界観に浸れる』要素が強いんじゃないかと思うわけでして。そういう世界観を大きな視点から俯瞰できるような目線で創作とかしていきたいなあとか常々思っております。

昔のゲームの単純化した16色画面を見ながら、総天然色の夢を出力するエネルギー。
何もないところから何かを想像できる気持ち。考えた末に何かに気づいたりいいものを見つけた時の嬉しさというか。
そういうのはすごいパワーで、年取ってからも忘れちゃいけない性能だと思うわけです。
当時80年代のゲームの世界観の自由さやそこはかとないアッパー感の源流みたいなものが好きなんですね。もちろん怖さもあるので、子供心に怖い部分も多分にあるんで万人におすすめ、というわけではないのですが。
そんで、ゲームって実は勉強になるんですよ。たとえばSF要素でてきたら単語自分で調べるし、その後の興味にもなる。
自分の場合はそれにたまたまゲームが当てはまった。ただそれだけのことでしょう。

そういう意味ではゲームって昔から存在してるし、もっと大事にしていい文化だと思うんですよね。
昨今未だに肩身の狭い?かもしれないゲームという言葉。自分も苦しんでる部分がありますし今でも重くのしかかってる『ゲームなんて』という、当時から誰とも知れない周囲から言われた言葉、先入観。そういったものからそろそろ卒業できたらいいなと思うわけですね。やっぱりなんだかんだ言って、いいものはいいんですよ。

でも、そう言う以上、ちゃんと『これがよかった』という情報はしっかり発信しておかないといけないんじゃないかな、という感じですね。定期ゲも楽しいし、据え置きも楽しい。じゃあ何が楽しいのか。それを伝えたい。自分が感動したこと、楽しいことを伝えるのは罪悪じゃないのだと、もう一度自信を持って言えるようになりたいものです。
自分はゲームやってる時間よりその後の考察や創作をする時間のほうが多いタイプですが、今後もちょくちょくその辺の話題も書いていけたらいいなと思ってます。