あたま山風雲録〜アナドラム雑記帳〜

こちらは世間のすみっこで趣味人を目指し奮闘しているあな(G穴弾)のよもやま雑記帳です。

いつか同じ道を進むであろう方に〜//歯医者さんとわたくし、及び親知らず抜歯の記憶〜

そんなわけでご無沙汰です。なんか毎度そんな更新頻度なんですが、とりあえず今月は頑張りました。何を頑張ったかといえば倒れずに済んだ、というだけでしかなかったのですけども。ここ数年の所ほぼ例外なくも冬〜春を越えるのに(体力調整的な意味で)失敗してる身としては、無事五月を乗り切っただけでも快挙です。

もう随時ガタがきっぱなしで相変わらず脆すぎな体のメンテをしつつ、数ヶ月前に卒倒を経験した身としては睡眠食事その他生活習慣の再形成にいそしむ日々でして。その上春先になって歯の治療が立て続けに取れたりなんかしたために急遽工事もとい治療が入ったりとドタバタした結果、なんとかようやっと今年用の車体(?)に仕上げられてきたかなとか思ってます。

で。治療中に麻酔効くの待つ間ボーっとしてたら、お隣に座った患者さんとお医者さんがなにやら話し込んでて。聞くでもなく耳に入ってきた限り、なにやら親知らずの抜歯の手術の件っぽい?

説明を聞きつつ手術というニュアンスに明らかに不安そうな患者さん(お若い女の子)。

その様子を見て心の中で、おお同志よ、と思うわけですね。

自分もちょうど同じような時期にこの歯医者さんで同じ説明を受けました。十数年前に。ってかこうやって書くと過ぎ去った年月にちょっとむせび泣きたくなるんですけどもね。

そこでとりあえず自分用の覚書がてら、当時の抜歯(手術)周りの記録を脳内ライブラリで漁ってみましてですね。てか以前当時の日記でも書いてたんですがさすがに当時の日記は仕舞ってしまいましたんで、こっちにも保存上げしとこうかと。

 

で、要約すると親知らず抜歯。あれってなんですかね、個人的経験で言うならすぐ終わります。いや、治療というか工程自体はすぐ終わるんです。

自分の場合親知らず上下左右4本一気に出まくった上に一箇所は歯茎の内側に真横に形成されたままメリこんで他の歯を圧迫してるというもう厄介さにおいて役満級の詰みっぷりだったんで某歯科大病院を紹介された上で駆け込んだんですが、それでもアッサリ終わったというかドクターのみなさん手馴れたもので。お医者さん同士でお昼ご飯の雑談しながら抜歯(というか歯を割って砕いて摘出して縫合?)完了という感じだったんですね。麻酔してたからわかんなかっただけで振動とかすごいわ口の中はものすごい出血だわでなるほどオペ級のことはしてたんだなあと後になって思ったんですけど。

 

だから怖くないよ!手術ってもさすがお医者のみなさんプロフェッショナル。そのへんは信頼して大丈夫だと思われます。ほんとに当時のお医者さんがたには感謝しきりでございますよ。

ただあえて記憶を辿るならその後が大変だったというか自宅帰って麻酔切れたあたりから本番というか。まず顎が倍くらいに腫れまして、顎が動かせないので口が開かなくなるので飲食もままならない上に熱まで出るし当然のことながら麻酔切れれば痛みが出ます。

そこを数日耐えるレースこそがまさに本番というか。歯茎の抜糸までの数週間が勝負という。

経験則としてはお医者でいただいた痛み止めを飲む水すら飲めない場合があるので、抜歯手術したら帰りに念のためストロー及びチューブ型栄養ゼリーかなにかを買って帰ることをお勧めします。あとお風呂も十分に注意して長湯は避けたほうがいいかもしれません。

あと顔面変形はおたふくの一種として耐えるもよし、ネタとして写真撮って記録に残すなりすると後ほど生きる気力になるかもしれません。

こと、ここ十数年の医療技術のハイテク化はものすごいので、今はもっとずっと未来的かつスタイリッシュになってる可能性もありますが、どれだけ技術が進んでも親知らずが生えてくるのは変わらないという、いかなる時代でもそこに生きる人間自体はおんなじなんだなあというそんなことを深く考えたりもしました。

むしろいっそ抜歯後の親知らず、せっかく生えてきたんですしとりあえずバイオ的に保存した上で今後数十年先にはスペアとして再利用する技術とか生まれませんかね。なんか勿体無いじゃないですか。

あるいはもっと長いスパンで考えたら、親知らず自体あと数百年くらいしたらさすがに退化して生えなくなってたりするんでしょうかね…?

 

25世紀への夢は果てしなく。てかどう考えてもそれ以前に自分の寿命など尽きてるどころかむしろ平均より短そうな現実に頑張って立ち向かわないといけないんですけども。

そんなわけで雑記〜超前時代式、選択式テクノロジー生活〜

あっという間に一ヶ月が過ぎててもう。最近やっと外を歩く力が回復してはきたのでゴールデンウィークはこれまで堪え忍んできた娯楽を解放するかのごとくとりあえず映画三昧してましたね。いや、ちょっと前までは映画に行くことすら無理だったんですよ…。

体壊してなんとか生還して以来呆然としていた所からの復帰にどんだけ掛かってんだって感じで情けないんですが、『根』は思ったより深く。でも鬱屈と過ごすのもよくないのでせめて可能な範囲からの生活環境の改善及び時代に合わせた向上を謳って現在様々な電化製品の刷新などを同時進行で行っておりますが。

 

さしあたって必要な白物家電を2年くらいかけてほそぼそと刷新していった結果、非常に快適というか分かりやすく言うと家事にかかる時間も負担も電気代も減りまして。

こともっぱらゲーム専用機だった大画面テレビ(一応退院祝い?のいただきもの)もPCに繋げられるようになった途端より必要な映像コンテンツを能動的に選べるようになって生活クオリティが革命的に向上。ゲーム、映画、サッカー中継専用機としてカスタマイズされた結果、我が家ではますます世俗メディア離れが進んでいます。技術すごい。これがライフハックというやつですか。

 

いや正直、6〜7年近いブランクある間に世間様はどんだけ技術進歩してたんだってくらいの様変わりよう。ことここ数年の急激な未来っぷりは本当に目まぐるしくてなんだろう。毎日???という感じで、外出するだに、人によってはこの人たちはどこの時間軸に生きてるのかな、ってくらい周囲の時が加速してるような方々がいて、正直ただただ唖然としてる昨今。

まあ当方いわゆる前時代人としてはもはや無理してついていこうとしても疲れ果てるだけなので、とりあえず昨今新規追加されている様々なコンテンツには、必要なものは刷新しつつつ、他のさしあたって必要性を感じないものはとりあえず保留。の方向性で生きています。

 

ここ数年でほとほと再確認したのはやっぱり、使いこなせない情報や技術は毒にしかならない。ということで。

要するに『みんなやってるから持っとこう』、という発想の限界というか。

 

例えば一度『ついったー』とかやってみてわかったんですが、このテのツールって要するにほんともはや携帯(スマフォ)端末専門のやつなんですね。自分のようなアナログPCを細々使う以外ネット環境も携帯端末も個人利用だけという前というかよもや旧時代人にはそれはあまりに荷が勝ちすぎているようにその、思うわけです。

 

だってツイッタ追ってるとですね。こんなに常にネットに張り付いててみなさんいつ衣食住家事もろもろの作業をしてるんだろか?て思ってたら今やスマフォ使う方々って家でも外でも常時つけっぱなし、ネットつなぎっぱなしでスマフォ本体片手どころか首から下げて生活してるとかなんですね。自分の考えてた未来的な個人用自在端末のデザインとはちょっと絵的に違いますけど、まあ、これも時代の流れなんだよな的に見てます。

携帯電話がどんどん機能追加されていって、お財布機能がついたあたりからでしょうかね?、要するに『落としたとき致命的なのはお財布より携帯』って感じになったのは今世記初頭あたりでしたっけ。そこからさらにもう20年近く経つわけですから。よもや端末に詰め込まれた個人情報の多さって相当なものになるはずで、てかパソコン本体をポケットに入れて持ち歩く、ってのがなんか未だに抵抗があります。

自分は基本ものを片手に作業とかできないというか歩く時も手が空いてないとダメというか、道を歩く時すら細心の注意が必要なやつなんで、この手の使い方は多分一生無理だな、という思いはひしひしと感じてしまっており。

 

むしろなんというか、スマフォが様々な事情で使えない人を対象にした新しい携帯端末の形がじきに実現しないかなって思ってるんですけどね。各施設に設置した汎用ターミナル端末(公衆電話的ポジション)系のやつとか。

 

だって携帯電話ですよね。電話できりゃいいじゃないすか。あとメールができれば十分なんですよ正直。音楽聴けるのはいいなって思ったけどそれはそれで電話に求めてない機能というか別に音楽用の機器買うし。

 

多機能携帯端末の集大成がスマフォだとすると、そのスマフォから『今の自分の使う機能だけを搭載して後はつけない』取捨択一性をユーザ側が自由に選択できるシステムがもうちょっと身近になるといいなあ。要するに、使わないものはいらない、ってできるといいんですよね。


自分の今の生活の立ち位置に見合った範囲での性能を自分で選ぶというスキルが今後はより重要になっていきそうです。

 

スマフォの台頭で、街中の看板や掲示板がただの広告媒体になってしまった現在。果たしてスマフォを持たずに初めて行く町の地図がわかるだろうか?町に設置されていたはずの地図や案内板はどれだけ残ってるんだろうか?と、首都圏に外出するたびにちょっと不安になった、そんな昨今。

まあ、今の所『事前に念入りに全部調べてから外出する』でなんとかなってますけど、それでも街中の変化ってめまぐるしいですからね…

 

空想は頭のコヤシ理論の普遍性〜古いゲームの感想文をちゃんと書くということ//心の中の『世界観』のつくりかた

(この記事は、前ブログとのお引越し途中でのテキスト投稿実験です)

 

さて現在粛々とサイトの再確認計画を考えつつ、ついでに昔の趣味ゲーム記録等もあさりつつ、創作復帰のためのよもやまを自分なりにつめている昨今なあなです。

過去の記録とかいろいろざっと認識し直しつつ、時間が取れたのでつらつらと覚書がてら。

さて自分、無駄に物好きが高じて趣味の世界は大事にしようと二十歳を過ぎても創作を続けつつゲームもしつつすきなまんがも見つつ仕事(当時)も家事も生活もがんばりつつという当時からこの世に何千万人もいただろう新卒間際の生活を(身を削りつつ)やんわりなんとかここまで(途中十指ギリギリ回数の健康上の危機がありましたが)続けてきたわけですけど、こと災害後の混乱で体調崩して創作やめたらそれが一番厄介な病因というか要するに遂に元気が尽きた、つまりメンタルが病んでたというやっぱり典型的な崩れ方をしてたわけですね。

そんなわけでここ5年の苦悩と混乱の末わかったことは、やっぱ人間素直が一番だということですね。なんだかんだ言っても無理は体を壊すよ、という。
要するに書いてる本人のリアルが辛い時はたまには地の文も書いちまえと。そうやってバランス取らないと気持ちが混乱しちゃいますね。かといって複数アカウントやらを使う力もないのでこの場でつらつら続けちゃおうという魂胆です。

さて自分はフェイスブックやらツイッターなどで、基本実名出してあくまでリアルのものとしてネットを利用していらっしゃる方々の情報とは一線を画したあくまで『一個人の趣味サイト』としてのネット人格的立ち位置でインターネットをやってますが、そういう軽い気持ちのライトな使い方からすこし進歩して、この先誰が見ても何か残るものがあるような文章を意識して書いていこうかな、などと思ってます。つまりこのブログの文体が今後はまじめに難しくなります、というわけではございません。…むしろ地の文章や絵などの癖?は治らないので、すこしでも無味乾燥な記録ではなく、文章に人格がちゃんと感じられるような『読み物』として楽しく見ていただけるようなブログであればいいなあと思ってます。


さてそんな決意を固めた当方なんですが。自分に積み重なった知識レベルをなんとなーく体系化してみたら。
自分は学生時代にとりあえず詰め込むだけ詰め込んだ学習知識を基盤に、その後頑張って社会生活および家庭生活等をなんとか可能な範囲で(というか多分に家主さんとのタッグにて文字通り必死コイて)生き抜いてるわけなのですが。その合間に別件でたまにあくまで趣味で一緒に作ってる自腹の個人創作誌などに参加して遊びつつ、可能な限りの範囲で生活と趣味を細々続けているというそんな状態で十数年。いやほんとライフステージ驚天動地でそれどころじゃない(でも非常にドメスティックな範囲)で激動だったので語りたいことも山ほどあるんですが。

いや本当に無駄にゲームの変遷の知識くらいしか自信がないという御察しの展開。

てか、真面目なこれまでの生活よもやま話とかそういうの書くより、ゲームの話とか以前お世話になった界隈で学んだアニメ特撮その他の話してるほうがすんなり出てくるんですから仕方ないです。
むしろどんな切羽詰まった逆境にも耐えうる生活防衛術の分析とか家計応援アンチョコとかそういうのはもう今だったらアレです、アプリ業界?の商売カテゴリですし、そういうのは敢えて外して、かといって自分に嘘をついてまで真面目で他者の目をいちいち気にした骨抜きの内容を書く気にもならないので、いやもうなんというか自分が書きたいものを好きに書きます。と開き直って今回は。

往年のゲームの世界観の話になったのですね(相変わらずの話題)。

先週なんだかほんとにひさかたぶりに最近のアニメの最終回まで見て、去来する思いの中で往年アニメから時代劇から二転三転過去の記憶が走馬灯のようにこうそりゃもう尋常じゃない勢いで再生された訳でして(※とても疲れます)。で、なぜかその後家人とロマサガミンスト)のアルドラさんの話になったんですよ。死ぬに死ねない未練と苦しみの物語というかあれは初見(当時2005年〜10年くらい)からガーっと気持ちを囚われちゃったというか気になる方は調べるなり実際ゲームをやって欲しいんですが、とにかく話が重いんですよ、でも儚くて美しくてよく読み解いたら信じらんないくらいプラトニックな純愛友情もので、年取って見るとまた泣けるんですね。

脱線しましたが、そんなアルドラさん編でわかったことは、あのゲームの世界観および神話体系などはすごくよくできていたのではないかと。

SF然りファンタジーしかり、創作世界の世界観の作り方ってのは往年の海外諸作品を見るとわかりやすい、というのは昔から思ってるし参考にしてるんですが、

マイトアンドマジック世界の東西南北に4属性(中心に近いほど中立と混在の『人間の』世界になる)とか。
ウルティマ世界(おもに4のアレ)8つの徳の世界とか、
ハイドライド世界のちょいと気をぬくと一寸先が宇宙と隣り合わせのファンタジー世界とか、
ファンタシースター系のSF美味しいどころ取りだけど基本は王道サーガものな千年紀筋書きとか、

そういうなんというか、小難しい説明を一切排してるけどなんか一本筋が通った世界観設定の切り口、ってのの大胆さに惚れるのです。当方の脳が何もかもあらかじめ決まった設定とかこまっしゃくれた難しい用語とかそういう設定以上に単純化したルール設定が好きというだけなんですけど。そういうののほうが想像で補う余地がある分自分なりの解釈で『世界観に浸れる』要素が強いんじゃないかと思うわけでして。そういう世界観を大きな視点から俯瞰できるような目線で創作とかしていきたいなあとか常々思っております。

昔のゲームの単純化した16色画面を見ながら、総天然色の夢を出力するエネルギー。
何もないところから何かを想像できる気持ち。考えた末に何かに気づいたりいいものを見つけた時の嬉しさというか。
そういうのはすごいパワーで、年取ってからも忘れちゃいけない性能だと思うわけです。
当時80年代のゲームの世界観の自由さやそこはかとないアッパー感の源流みたいなものが好きなんですね。もちろん怖さもあるので、子供心に怖い部分も多分にあるんで万人におすすめ、というわけではないのですが。
そんで、ゲームって実は勉強になるんですよ。たとえばSF要素でてきたら単語自分で調べるし、その後の興味にもなる。
自分の場合はそれにたまたまゲームが当てはまった。ただそれだけのことでしょう。

そういう意味ではゲームって昔から存在してるし、もっと大事にしていい文化だと思うんですよね。
昨今未だに肩身の狭い?かもしれないゲームという言葉。自分も苦しんでる部分がありますし今でも重くのしかかってる『ゲームなんて』という、当時から誰とも知れない周囲から言われた言葉、先入観。そういったものからそろそろ卒業できたらいいなと思うわけですね。やっぱりなんだかんだ言って、いいものはいいんですよ。

でも、そう言う以上、ちゃんと『これがよかった』という情報はしっかり発信しておかないといけないんじゃないかな、という感じですね。定期ゲも楽しいし、据え置きも楽しい。じゃあ何が楽しいのか。それを伝えたい。自分が感動したこと、楽しいことを伝えるのは罪悪じゃないのだと、もう一度自信を持って言えるようになりたいものです。
自分はゲームやってる時間よりその後の考察や創作をする時間のほうが多いタイプですが、今後もちょくちょくその辺の話題も書いていけたらいいなと思ってます。

 

お引越し〜あたま山、ほそぼそと移動中〜

どうもはじめまして、あなと申します。今世紀初頭あたりからほそぼそと絵を描いたりゲームやったり定期ゲやったりと幅広く創作全般をやっておりまして。

かつてご縁があった方におかれましては以前は大変お世話になりました。

その後体調および生活環境の都合などで一時期ネット活動から離れてましたが、余裕を捻出してなんとか復帰しつつある、そんな状況でございまして。

 

そんなわけで以前は別所でブログなどやってましたが、サイト整理の一環にて趣味やらゲームやら日記やらを一括統括した新しい場所を作ろうということにしまして、試験的にこちらのはてなさんに試しに場所をお借りしてみました。

 

現在取り扱い修行中ですが、地味に更新されるかもしれませんのでその際はなにとぞよろしくお願い申し上げます。